人物を知ろう
大隈重信って、どんな人?
大隈重信は、日本で初めての政党内閣をつくり、早稲田大学を創立した政治家です。明治政府で財政や外交を担った後、政党をつくって藩閥政治に対抗しました。
- 生没年
- 1838年〜1922年
- 時代
- 明治時代〜大正時代
- 立場
- 内閣総理大臣・早稲田大学創立者
- ゆかりの地
- 佐賀、東京(早稲田)
ここから知ろう
むずかしい言葉を先に説明
- 佐賀
- 今の佐賀県。大隈が生まれた藩の土地です。
- 政党
- 同じ考えを持つ人が集まり、政治を動かそうとする団体です。
- 藩閥政治
- 薩摩や長州の出身者が、政府の重い地位を占めた政治です。
大隈重信をもう少し詳しく
佐賀藩に生まれ、明治政府で財政や外交を担いました。政府を離れてからは政党をつくって藩閥政治に対抗し、のちに首相として初めて政党を基盤とする内閣を組織しました。教育にも力を注ぎ、早稲田大学を創立しました。
大隈重信は、議会を開く時期をめぐって政府と対立し、のちに政党を基盤にした内閣をつくりました。政党政治がすぐ安定したわけではありませんが、国会中心の政治へ進む一歩でした。
カードの異名・効果名を歴史から読み解く
カードに登場する言葉が、史実や伝承の何を表しているのかを解説します。
最初の政党内閣・最初の政党内閣:隈板内閣・打倒藩閥政治
政党が内閣をつくる
1898年、大隈が首相、板垣退助が内相となった内閣です。薩摩・長州の出身者が握っていた政治を、政党が担う形に変えた一歩でした。
この解説が使われているカード
早稲田大学設立・大学創設
学問の独立をめざす
政治から独立した学問の場をつくるため東京専門学校を開きました。これが早稲田大学となり、多くの人材を送り出しています。
英国交渉の秘密兵器・庶民思いの外交官・総理大臣
条約改正にいどむ
外務大臣として不平等条約の改正交渉にあたりました。交渉は難航し、大隈は反対する者に爆弾で襲われて片脚を失いました。
この解説が使われているカード
参考資料
最終更新日: / 誤りを報告する