人物を知ろう
上杉景勝って、どんな人?
上杉景勝は、上杉謙信の後を継いだ戦国大名です。会津を治めた後、関ヶ原の戦いをへて米沢へ移りました。
- 生没年
- 1556年〜1623年
- 時代
- 戦国時代〜江戸時代初期
- 立場
- 武将・大名
- ゆかりの地
- 越後・会津・米沢(現在の新潟県・福島県・山形県)
ここから知ろう
むずかしい言葉を先に説明
- 越後
- 今の新潟県。上杉家がもとから治めていた土地です。
- 会津
- 今の福島県の西部。景勝が関ヶ原の戦いの前に治めた土地です。
- 米沢
- 今の山形県の南部。関ヶ原の戦いの後に移された土地です。
上杉景勝をもう少し詳しく
謙信が後継ぎを決めないまま亡くなると、景勝は景虎と上杉家の当主の座を争い、勝って家を継ぎました。豊臣秀吉に従って会津120万石を治めましたが、関ヶ原の戦いの後は米沢30万石へ移されます。領地が大きく減っても、上杉家を米沢へつないだ人物です。
カードの異名・効果名を歴史から読み解く
カードに登場する言葉が、史実や伝承の何を表しているのかを解説します。
御館の乱
なぜ上杉家の中で戦ったの?
謙信が後継ぎをはっきり決めないまま亡くなったため、養子の景勝と景虎が当主の座を争いました。これが御館の乱です。景勝が勝ちましたが、上杉家の人々が二つに分かれ、多くの力を失う争いにもなりました。
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会津征伐
会津征伐は、なぜ関ヶ原につながったの?
家康は、景勝が会津で城などを整えていることを問題にし、軍を率いて東へ向かいました。その間に石田三成らが西で兵を挙げたため、家康は引き返します。会津へ向かった軍事行動が、関ヶ原の戦いへ動くきっかけの一つになりました。
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五大老の意地〈上杉〉
五大老とは、どんな立場?
五大老は、豊臣政権を支えた有力大名たちをまとめて呼ぶ言葉です。景勝は会津120万石を治める大名として、その一人に数えられました。「意地」は史料にある役職名ではなく、徳川家康と向き合う姿を表したカードの表現です。
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参考資料
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