人物を知ろう
明智光秀って、どんな人?
明智光秀は、織田信長の有力な家臣として丹波の平定や京都の政務を任された武将です。1582年に信長を本能寺で倒しましたが、まもなく敗れました。
- 生没年
- 1526年〜1582年
- 時代
- 戦国時代
- 立場
- 武将
- ゆかりの地
- 美濃・丹波(現在の岐阜県南部・京都府北部)
ここから知ろう
むずかしい言葉を先に説明
- 丹波
- 今の京都府の北部と兵庫県の一部。光秀が信長から任された土地です。
- 本能寺
- 京都にあった寺。光秀が信長を攻めた場所です。
- 山崎
- 今の京都府と大阪府の境あたり。光秀が秀吉に敗れた戦いの場所です。
明智光秀をもう少し詳しく
明智光秀は織田信長の有力な家臣として、丹波の平定や京都の政務を任されました。1582年、信長を京都の本能寺に襲って倒しましたが、まもなく羽柴秀吉に山崎で敗れました。
カードの異名・効果名を歴史から読み解く
カードに登場する言葉が、史実や伝承の何を表しているのかを解説します。
本能寺の変
信長が倒れた大きなできごと
1582年、光秀の軍は京都の本能寺を攻め、織田信長を倒しました。このできごとで、戦国時代の流れが大きく変わりました。
この解説が使われているカード
京都復興
荒れた京都を整える仕事
光秀は、戦いで荒れた京都の町を整える仕事にも関わりました。武将は戦うだけでなく、町や道を守る役目も持っていました。
この解説が使われているカード
敵は本能寺にあり・豪火の裏切・天下を別つ者
本能寺の変
伝承・物語
1582年、光秀は主君である信長を京都の本能寺に攻めました。「敵は本能寺にあり」は、このとき光秀が味方に告げた言葉として伝えられています。
天王山・三日天下
山崎の戦いと「三日天下」
変の11日後、光秀は羽柴秀吉と山崎で戦い敗れました。天王山はその地にある山で、今も勝負の分かれ目を指す言葉です。短い政権は三日天下と呼ばれます。
参考資料
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