人物を知ろう
徳川家康って、どんな人?
徳川家康は、長く続いた戦国の争いを生き抜き、江戸に幕府を開いた人物です。家康が作った政治の土台は、その後およそ260年続きました。
- 生没年
- 1543年〜1616年
- 時代
- 戦国時代〜江戸時代初期
- 立場
- 戦国大名・江戸幕府初代将軍
- ゆかりの地
- 三河国、浜松、江戸、駿府
ここから知ろう
むずかしい言葉を先に説明
- 関ヶ原の戦い
- 1600年、徳川家康の東軍と石田三成の西軍が争った天下分け目の戦いです。
- 江戸幕府
- 家康が江戸に開いた武士の政府です。
- 人質
- 相手を従わせるために、その家族などを捕らえておくことです。
- 関ヶ原の戦いに勝つ
- 征夷大将軍になる
- 江戸幕府を開く
徳川家康をもう少し詳しく
家康は幼いころ、今川氏と織田氏の争いに巻きこまれ、人質として過ごしました。今川義元の死後に独立し、信長や秀吉と関係を結びながら三河から関東へ領地を広げます。1600年の関ヶ原の戦いで主導権を握り、1603年に将軍となって江戸幕府を開きました。長く待っただけでなく、同盟・戦い・領地経営を重ねて力を築いた人物です。
カードの異名・効果名を歴史から読み解く
カードに登場する言葉が、史実や伝承の何を表しているのかを解説します。
今川と織田の人質・忍従の果てに
人質だった家康は、何を我慢したの?
諸説あり
家康は幼いころ、家どうしの約束を守らせるため今川氏へ送られ、途中で織田方に捕らえられた時期もありました。自由に家へ帰れない立場でしたが、今川家のもとで武将として成長します。「忍従」は苦しさに耐えることで、後世の家康像のなかで強調された言葉です。
狸親父・三河の鷲・勝者が歴史
「狸親父」は、本当の家康?
諸説あり
「狸親父」は、計算高く相手をだます家康像を表す後世の呼び名です。「三河の鷲」も強さを動物に重ねた異名で、正式な役職ではありません。勝者となった家康側の記録だけでなく、敗れた側の記録も比べると、人物像を一つに決めつけずに読めます。
三河の天下人・欣求浄土・上杉征伐
三つの言葉は、どう天下取りにつながるの?
三河は家康の出発点です。「欣求浄土」は仏の国を願い求める言葉で、徳川軍の旗に使われた「厭離穢土 欣求浄土」の一部です。1600年、家康が上杉景勝を攻めるため東へ進んだ間に西で挙兵が起こり、関ヶ原の戦いへつながりました。
関ヶ原・関ヶ原の勝者・天下統一<徳>・天下三傑(待)
関ヶ原に勝って、すぐ天下統一したの?
1600年、家康を中心とする東軍は石田三成らが動かした西軍に勝ち、全国支配の主導権を握りました。ただし豊臣家はまだ大坂城に残っており、戦い一日ですべてが終わったわけではありません。家康が将軍になるのは1603年、豊臣家が滅びるのは1615年です。
この解説が使われているカード
江戸幕府初代将軍・江戸幕府開府・江戸城・江戸二百六十年の祖・天下泰平・三つ葵の御紋・三河武士団の結束
家康一人で260年を作ったの?
家康は1603年に将軍となり、江戸に武士の政府を開きました。二年後には将軍職を秀忠へ譲り、徳川家が代々継ぐ形を示します。ただし、約260年続く制度を整えたのは秀忠・家光など後の将軍や家臣たちでもあり、家康一人の仕事ではありません。
参考資料
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