人物を知ろう
寧々って、どんな人?
寧々は、豊臣秀吉がまだ身分の低かったころに結ばれ、その出世を支え続けた妻です。秀吉が関白になると北政所と呼ばれました。
- 生没年
- 1547年〜1624年
- 時代
- 戦国時代〜江戸時代初期
- 立場
- 豊臣秀吉の正室
- ゆかりの地
- 尾張・京都(現在の愛知県西部・京都府)
ここから知ろう
むずかしい言葉を先に説明
- 尾張
- 今の愛知県の西がわ。寧々と秀吉が育った土地です。
- 関白
- 天皇を助けて政治を行う、いちばん高い位の役職です。
- 高台院
- 秀吉の死後に出家した寧々が名のった名前です。
寧々をもう少し詳しく
寧々は、秀吉がまだ織田信長の家臣だったころからの妻です。秀吉が関白になると北政所と呼ばれ、武将の妻や朝廷とのやり取りなど、豊臣家を内側から支えました。秀吉の死後は高台院の名を受け、京都に高台寺を建てて秀吉を弔いました。
カードの異名・効果名を歴史から読み解く
カードに登場する言葉が、史実や伝承の何を表しているのかを解説します。
北政所
北政所は、名前なの?
もとは関白の正妻をうやまって呼ぶ言葉で、本名ではありません。秀吉が関白になると、寧々は北政所と呼ばれるようになりました。その後は、寧々その人を指す呼び名として広く知られます。
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家臣養育
家臣を自分で育てたの?
寧々が多くの武将を子どものように直接育てた、と単純にはいえません。秀吉との間に子がいなかったため親族の子を養い、家臣やその妻たちと手紙を交わして豊臣家の人間関係を支えました。「養育」は、こうした広い支え方を表すカードの言葉です。
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糟糠の妻・一途に野合
「糟糠の妻」と「野合」はどういう意味?
糟糠の妻は、貧しいころから苦労をともにした妻という意味です。寧々は秀吉がまだ大名になる前から連れ添いました。「野合」は正式な手続きをとらない結びつきを指す強い言葉ですが、二人の関係を示す当時の正式名称ではなく、カードの表現として区別して読みます。
大殿に浮気を言いつけてやるんだから!
本当に信長へ浮気を相談したの?
信長が寧々へ送った手紙には、寧々をほめ、秀吉を「はげねずみ」と呼んで注意すると書かれています。この手紙から夫婦の悩みが信長へ伝わっていたことは分かりますが、カードのせりふどおりに寧々が言った記録ではありません。
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参考資料
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